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エジプト(Egypt) .eg

首都 カイロ (590 万) (Cairo)

 アフリカ北部の国。公式名 エジプト-アラブ共和国: Arab Republic of Egypt。国土面積 1,001,449 km2。人口 80,335,336人(2007)。アラブ人が大部分. 公用語: Arabic. 宗教: イスラム教スンニー派がほとんど, ほかにコプト教会。通貨: pound。
 エジプトの地に統一国家ができたのは3200 B.Cのことだそうです。いくつかの王朝が興りましたが、341 B.Cにペルシャに手に落ち、エジプト人による王朝は絶えました。その後はギリシャ、ローマ、ビザンチンなどに占領されていました。7世紀にはアラブ人が入ってきて、その後 6世紀を治め、イスラム教とアラビア語を定着させました。1250年に、マムルークと呼ばれる、元々は奴隷の用兵だったのが実権を握り1517年にオットーマン・トルコによって占領されました。スエズ運河ができたのは1869年ですが、これにより、エジプトは重要な拠点になり、イギリスがその権益を守るために1882年に、実権を得ましたが、名目上はオットーマン・トルコの支配が1914年まで続き、独立国になったのは第二次大戦後です。
 エジプトの国名の由来は英語版の Wikipediaを見ると複雑怪奇です。まず、五世紀にアラブ人に占領されるまでは、何と読むか分かりませんが「km.t」、ヒエログリフで書くとだったということです。左から順に k, m, 3番目の文字は上下に分かれていて、上の半円形は「.」、下が「t」にあたるらしいです。アラブが席巻してのちも17世紀まではコプト語として残っていて「Ki¯mi」だった、それからアラビア語では正しく表記できませんが「Mi?r」 Misrだそうです。ミスルと呼ぶようです。これが公式国名のようです。エジプト人がほんとにその国名を使っているのかは定かではありません。「km.t」は黒い土地という意味だそうでナイル川がもたらす肥沃な土地らしいです。コプト語も同じでしょう。アラビア語の方はヘブライ語の Mitzryimから来たもので、元の意味は the two straitsだそうですが、何で二つの海峡なのか皆目見当がつきません。実質的には都市とか文明、国といった意味だったらしいです。そして英語の Egyptですが、これはギリシャ語のΑ?γυケτοV (Aigyptos)から来たものだそうです。これはどうやら 古代の都メンフィスの古代名・フゥト・カァ・プタハ・「創造神プタハの聖域」がギリシャ語でアイギュプトス: Aegyptusとなり、ラテン語を経て現在の名前になったのだそうです。最初のアイギュプトスへの変化は納得がいきませんけど。ptusがプタハで Aeguが聖域ということになるのでしょうか? Wikipediaにはエーゲ海の下を意味するというのもあります。 アイギュプトスはギリシャ神話になっています。
 エジプトと言えばクレオパトラを思い浮かべる人も多いでしょう。実は私もその一人でした。でも、彼女はエジプト人ではないんですよね。強いて言えば、ギリシャ人、いや昔のマケドニア人、アレキサンダー大王はマケドニア出身で、その部下にプトレマイオスというのがいて、アレキサンドリアという都市を造って彼に守らせたわけです。その子孫がクレオパトラなんです。ですから、エジプト人に「クレオパトラとか美人の国ですね」などとお世辞を言っても通じないかも知れません。プトレマイオス王朝は、少なくともクレオパトラの時代までは現地人とは結婚しないと掟を守っていたということですから、エジプトの血は入っていないわけです。
 今のエジプト人と古代のエジプト人とはどうも違うようです。古代のエジプトはスーダン、それにエチオピアにまたがった大帝国で、しかもヘロドトスの記録ではエティオピア出身の王が18人もいたということで、スーダンは国名の由来が黒人の国というくらいで、エチオピアも肌の色はかなり黒いようです。古代エジプト人の特徴を一番色濃く受け継いでいるのはコプト人 Coptですが、彼らは黒人といった方がいいようです。現在のエジプト人は、ギリシャ、マケドニア、アラブ人が流入して中でもアラブ人の血が濃くなっているようです。
 国旗の真ん中の鳥は鷹で、マホメット、いや、ムハンマドというのが本来の呼び方らしいですが、その出身部族・クライシュ族のシンボルで、三日月と星の代わりをしています。鷹の下にリボンみたいなのがあって、文字が書かれています。エジプト-アラブ共和国と書かれているのだそうです。赤は血なまぐさい、革命の血、白が明るい未来と平和、黒は過去の暗い圧政を表しているそうです。鷹ではなくてサラディン: Saladinの鷲ともされています。まあ、とにかく、そんな猛禽類です。
 06/Jan/13 エジプトの伝統行事を探してこのページを訪れた人が二人いました。ちょっと探して見ました。右の写真は ルクソール寺院 Luxorにあるアブ・ル ハガグ Abu El Hagagという、上エジプト(ナイル川の上流地域)をイスラムを布教した、聖人を祭るモスクがあるそうで、その誕生日の9月の15日に小舟を神輿みたいにして運んでいるところです。それが何を意味するかまでは調べがつきませんでした。
080930 また、エジプトの伝統行事を探して来た人がいたので、調べ直してみました。この祭りはオペット Opetという古代の祭りとイスラム布教に項のあった僧の誕生日の祝いとを複合させたもののようです。アメン神 Amun(アムン、アモンとか記されます)とその伴侶 ムート Mut、それにその息子 コンス Khonsuの再会を祝う祭り、これはナイル川が氾濫して、再び土地が肥えて再生することと関連づけられて、カルナックのアムン神殿からアムンのご神体を小舟の御輿に載せて僧侶が、コンスの寺院まで運び、次にムートの神殿まで一緒に運んで、親子の神をルクソールの寺院まで運んで、そこで王によって再生を祝う儀式が行われていたらしいのです。しかし、現代のイスラム化された祭りの名称、祭りの次第はまだ調べがついていません。オペットというのはアメンホテップIII世寺院の奥深くにあるアムンが安置されている「秘密の部屋」という意味だということです。
 ついでに見付けたデスクトップの壁紙になる、エジプトの美しい風景の写真のサイトを見付けました。下のサイトがそうです。

国立民族博物館・研究公演・ナイルが歌いおどる ─ エジプトの伝統舞踊
 エジプトの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
http://flyingkong.com/idx/gallery5.html
エジプト大使館 →リゾート地と遺跡の紹介サイト →アフリカの地図

↓エジプトの地図