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アンティグアバーブーダ
 (Antigua and Barbuda) .ag

首都 セントジョーンズ (2 万) (St. Johns)

 国際電話番号 +1 アメリカと同じです。

 Antigua 島(西インド諸島東部 Leeward 諸島の小島), Barbuda 島および周辺の小島群から成るカリブ海東部の国。国土面積 442 km2。人口 67,448人(2002ょ。 1981 年に独立, 英連邦に属しています。大部分がアフリカ系黒人。 公用語: English. 宗教: 英国国教がほとんど。 通貨: dollar。
 コロンブスが来る以前から、農耕以前の古代人が住んでいて BC 2900年くらいまで遡れるらしいです。その後、ベネズエラあたりから島づたいに土器を使用する農耕民族が住み着き、次にはアラワク・インディアンが入れ替わり、1500年頃にカリブ・インディアンに入れ替わったということになっています。入れ替わったといっても完全に入れ替わるわけもなく、そんなに違いはなかったようです。
 1493年にコロンブスがやってきて大きい方の島に Santa Maria de la Antiguaと名付けました。最初に植民したのは1632年、イギリスです。1674年に Christopher Codrington郷が大規模な砂糖農園を作り、バーブーダも借りあげました。バーブーダの唯一の町の名前は彼に由来します。農園の労働力はご多分に漏れずアフリカから連れてきた黒人でした。
 18世紀に入るとイギリス海軍のカリブ艦隊の司令部が置かれ、イギリス以外の国が植民地と交易するのを妨害というか、多分、金を納めなければ追い返していたのでしょう。艦隊は軍資金も自分で調達する必要があったでしょう。昔から水軍と海賊との違いは海賊は紙一重でしたから。長く司令官を務めたネルソン提督はこのあたりの商人にはえらく不人気だったようです。
 1834年に奴隷制はイギリス帝国全体について廃止されましたが、余分に土地があるわけでもなく、実質的な奴隷状態は続きます。1939年に Royal commission(イギリスの何とか調査委員会はみんな頭にこれがつきます。)の委員が Trade and Labour union movement(労働運動と訳されるようです)を勧めます。ほどなくしてアンティグア・労働運動が結成され、Vere Cornwall Birdなる人物が現れてアンティグア労働党を作って1951年には多数党になり、実質的に首相として支配し、健康を害するとその息子が後を嗣いで王朝みたいになります。とにかく1981年には独立を果たします。イギリス連邦には残り、形式的には立憲君主国で君主は今はエリザベスII世です。2004年には進歩党が選挙に勝って王朝は終わったようです。
 国名の由来については、「国名の意味」というサイトに「1493年コロンブスが訪れる。アンティグア島とバーブーダ島からなり、前者は、探検の機会を与えてくれたスペインに敬意を表しセビリアにあるマリア・デ・ラ・アンティグア教会(旧サンタマリア教会)に由来。後者はバルバドス島と誤って地図上に記されたためで、それがさらに英語訛りになった。」とあります。バルバドス島云々についてはネットでは傍証は見つかりませんが、紛らわしい場所にあり、間違いはなさそうです。
 国旗の赤は、国民の力だそうです。国民が力を合わせて、新しい希望の太陽が黒い色の黒人の中に立ち昇ってくるということらしいです。
 バーブーダの文化に関しては、佐納康治というの大学の先生の旅行記があるので紹介しておきます。コンピュータとか情報の教授のようですが、世界中、旅をされています。
アンティグア・バーブーダの料理 →アンティグア・バーブーダの公式サイト
西インド諸島の地図 →西インド諸島の大地図

↓アンティグア・バーブーダの地図