佐藤渡辺通信 No.38 十割そば、九分九厘
この日曜日、兄がカナダの土産があるというので、また、春日部の方に行って来ました。途中、岩井の町から、境町までの間、10キロ程度だと思いますが、実にたくさんの、おそば屋さんがあります。店の名前で「二八そば」というのがあれば、「十割そば」というのもあります。数えたことはありませんが、15くらいはあると思います。私の勤務している美浦村へのルートの一つとして土浦から国道125号がありますが、この間の沿道、15キロ程度の間、そば屋は一軒もありません。 この十割そばの読み方ですが、私がジュウワリソバと読んでいると、家内がそれはトウワリソバと読むんだ、こないだ、テレビのそばの打ち方で言っていた、と口をはさみました。ふうん、ここで、なぜか九分九厘という言葉を思い出しました。九分九厘に一厘を足すといくつになるのだろう?。 家内にたずねてみました。家内は学校の試験にでないようなことなら、実によく知っています。一割二分とか言うのだから、九分九厘の次は一割でしょう、という答えです。さて、九分九厘というと99%と意味に使います。一厘を足すと一割になって10%になるというわけか?。 兄のところで、この話をして、九分九厘の次は別の単位になるのだろう、と、電子百科事典・広辞苑で調べましたが、貨幣単位ではどうなるのか、一両、一分、一朱とかの単位との関係は? 調べてみると一両は四分、一分は四朱と四進法になっていました。私の想像では、昔は実際に金を切り分けて取引していたので、10等分とかするのは大変で、半分、半分と分けていたのだろうと勝手な想像です。 この一両とかいう単位と、一貫文、文とかの関係がよくわかりません。百科事典では1000文で一貫文だが、実際は960文を一貫として取引していたとかありますが、一両は何文になるのかは書いてありません。また想像ですが、金の価値は不変として、銅とか鉄の銭は、相場があって、何文で一両になるかは、そのときどきで違っていたのでしょう。 十割そば、九分九厘の話からそれてしまいましたが、九分九厘の次は十分だということに、あとで気づきました。貨幣単位とは関係なさそうです。両と文との関係、気になったので、今、ネットで調べました。Googleで「江戸時代 貨幣単位 両 貫 分 文」をキーワードにして、検索された記述から、推察するという私がよくやる方法です。 「江戸時代の貨幣単位は、金・銀・銭の三種類の単位がありました。 金 : 1両=4分(ぶ)=16朱 (主に関東で使用されました) 銀 : 1匁=10分(ふん) (主に関西で使用されました)」という記述がトップです。四番目くらいに「江戸時代の貨幣. ... 寛文期までのものは、アジアのベスト銅貨で海外にも多く流出。ベトナムの貨幣単位「ドン」(銅の変形 ... 100文銭。裏に「当百」とある。同時期に鉄貨も増鋳したことによって銭相場下落。天保13年、1両=6貫500」、やはり相場があったようです。 面倒なのでそれ以上の探索はやめます。面倒は我が家の家訓?いや、座右の銘?
佐藤渡辺サイトの近況 11月の画像を含まないページビューのヒット数は220,223で、新記録にはなりませんでしたが、日平均としては新記録でした。さすがに増勢が鈍っているものの、日平均としてはまだ、右上がりです。韓国は5位くらいで安定しそうです。これから国別の統計のまとめはまだですが、メキシコが6位が上昇してきて、中国が7位ということになりそうです。 アメリカの幼稚園から小中学校、高校まではK12とかいって、多分Kindergardenから6+3+3だとおもいますが、一つのまとまりとして各地方でネットがあるようです。そうしたところからのアクセスが毎日、画像も含めたファイルビューで1000近いアクセスがあります。ところが、11月29日の記録ではこれがゼロになっていました。調べてみたら、28日はアメリカのThanksgiving Day、感謝祭で祝日になっていました。やはり学校の教育現場でインターネットを多用しているようです。
日本の国の話 北朝鮮の拉致、話はこじれてきたようです。帰国者を帰さないというのは民意でしょうが、もう少し迷いもあってよかったかな?という気がしています。我が家でも家内は強硬派、帰す約束とかは、泥棒相手には通じないといいます。私は、いつかは普通の国として扱う必要があり、そのきっかけを求めてきた、ということも斟酌する必要があったような気がしています。いつまでも、麻薬密輸も国策という国では困りますが、共産党の王朝国となると、やはり普通の国としては扱いにくいのも確かです。 しかし、昔を振り返れば、イギリスは海賊クックにナイトの位を与えたという歴史もあります。 道路公団民営化の話、私の会社にとっても重大関心事です。こうした公共工事は経済だけでは議論できない面があるように思います。車が一日、百台も通らないところに道路を作るな、とかいうのは経済効率の議論ですが、日本の北端とか南端、には人は住むな、住むやつが悪いというのでは、日本が一つの国である、理由がなくなりそうです。誰も住まなくなって、いつのまにか、どこかの国の難民が住み着いてと独立ということになりかねません。 一つの国である以上は、どこに住んでいても、同じ程度の利便を享受できるようにするのが政治でしょう。経済効率の問題ですが、私が昔から考えていたことで、これを言ったら、精神病院行きと思って口に出さなかったことがあります。首都圏の整備を一番、外、外郭環状あたりから、進めて、首都高速は一番あとまわしにする、首都高速を造った頃なら外側の整備費は恐ろしく安かったでしょうが、一日、何台通るかという道路になったでしょう。しかし、そうやって、主都の機能を外側に吸い出して行けば、東京は今のように混雑せずに住みやすくなったのでは? もちろん、この考えた他でやったら経済成長はの速度はかなり鈍ったと思いますが、結果としては住みやすくなったのでは?と思います。
家の話
倒れるまで放っておいて、たくましく育ってきた、二代目の高菜とコウサイタイ、高菜の方は、虫食いがひどくて抜いてしまいましたが、コウサイタイは3株ほどが、ひっそりと花を咲かせています。ほかに食べるものがあったので、つい忘れて、食べずじまいになりそうです。三代目に期待しましょう。しかし、高菜とハイブリッド化したものもあるようです。
今回のお知らせはこの程度です。2002/12/02発行 発行部数 147部目次へ このホームページの更新状況などのお知らせをご希望の方がありましたら、下記の申し込みのフォームでお申し込み下さい。私どもからのお知らせのほかに、「まりんにゅうす」というメールマガジンも届くことになります。 | |
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